2003年平成15年11月1日発行
表紙・石阪春生 カット・柴田 健
創作
追悼記
詩
紀行
OB会通信
編集後記 和田浩明・黒田 宏
OB会事務局便り 松尾繁晴
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2003年(平成15年)
11月11日(火曜日)
日本経済新聞(夕刊)
『別冊關學文藝』記事
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=====熟年を豊かに======
====同人誌作り 青春に帰る====
====関学大 文芸部OB======
====1回の予定が定期刊行に====
==主題は変わらず 変わる表現方法==
・関西学院大学文芸部の熟年OBたちが年二回の刊行を続ける同人誌
「別冊関学文芸」。大半が六十歳を超えたかつての文学青年たちが詩
や散文、小説などに取り組んでいる。卒業後、いったんは遠ざかって
いた創作活動に再び意欲を燃やし、青春時代から抱くテーマや疑問へ
の答えを模索し続ける。
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「正直言って驚きましたよ。執筆の話題などが出ても、まだそんな
青臭いことを、と笑い飛ばして終わりだと思っていましたから」。山
口毅さん(67)は一九八八年秋の同窓会を振り返る。翌年に控えた
関学創立百周年を記念し、OBたちによる「関学文芸特別号」の発刊
が誰からともなく話題に上ると「酒席での感情の高ぶりもあって」
(編集長の黒田宏さん=69)あっという間に決まってしまったのだ。
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当初は一回きりの予定だった。しかし、関学内外の関係者に好評を
博したうえ「青春の熾火(おきび)がめらめらと燃え上がり」(黒田
さん)、九十年から定期的に刊行する運びとなった。現役文芸部員に
よる「関学文芸」と区別するため、同人誌は「別冊関学文芸」と命
名。これまでに二十七冊を出版した。
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主な執筆者であると同時に編集やOB会の運営も担う「同人」は、
仕事で一線を退いた六十五~七十歳のOB約二十人が中心。「会員
」と呼ばれる四十代以下のOB約十人も投稿できる。春と秋の刊行
時期に合わせて編集長の黒田さんに送られてくる作品は、山口さん
らを加えた五人で開く編集会議で討議。必要に応じて手を加え掲載
の順序を決めて出版に至る。刷り上がった六百冊は内輪のほか、新
聞社や雑誌社、公営の図書館などに贈呈。出版にかかる費用はOB
たち自身が負担する。
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「卒業から四十年以上たったが、作品を読んでみると、各人が持
つ根本的なテーマや問題意識は大学時代からほとんど変わっていな
い」。西島昇さん(67)は仲間の作品の感想をこう語る。例えば
中学生時代に母親を亡くした山口さんには、母親と息子の関係を描
いた作品が多い。文学賞の受賞歴もある和田浩明さん(67)が書
く小説の源流をなしているのは、自らの戦争体験だ。
「結局、個人にとって人生のテーマというのは二十代ごろに形成
されるのではないか。その後の人生というのは、そうしたテーマや
疑問を見つける時間なのかもしれません」。自ら詩を創作する海部
洋三さん(67)も同調する。
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反対に、表現方法や執筆への姿勢は歳月とともに変わった。顕著な
のは「観念的、抽象的になりがちだった若い時の作品と一転して、具
体例や体験に基づいた書き方が増えたこと」(黒田さん)。学生時代
に欠けていた実体験が年齢とともに重ねられたのはいうまでもない。
「世間に認められて物書きになってやろう」という肩の力が抜け、
「観念論、抽象論が醸し出す雰囲気へのあこがれ」もなくなったのだ。
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関西に限っても数多い文芸同人誌だが、同じ大学のOBたちだけで
刊行を続けている例は全国でも珍しい。青春を共にした仲間たちと同
人誌を作るだいご味について、メンバーたちは「共通体験を持つ者だ
けが分かり合える、言外に込められた意味を感じられること」と口を
そろえる。
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物書きを夢見ていた文学青年たちのほとんどは卒業後、文章の執筆
や編集とは無関係な仕事に就き、それぞれの道を歩んだ。青春時代を
知らなければ何げなく読み過ごしてしまう言葉の裏に共通する体験を
想起して思い出に浸ったり、郷愁を覚えたりできることは熟年を迎え
た彼らにとって大きな楽しみだ。
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卒業から半世紀近くたった今も、亡くなった数人を除いては、一人
も離れずに交流を続けている。フランスの詩人ポール・エリュアール
によれば、「年を取る」ことは「おのが青春を歳月の中で組織するこ
と」。関学文芸部OBたちにとって、書くという行為は自らの青春を
「組織する」ための手段なのだろう。 (大阪経済部 吉野浩一郎)