関西学院創立百周年(1989年平成元年)に、關學文藝部OBにより『關學文藝 100周年記念特別号』が発行されました。これを契機として、翌年『別冊 關學文藝』が誕生。以後年2回の発行を続け、関学文藝部OB以外の同人・会員も加わり、現在(令和5年11月10日)第67号を発行。 編集:浅田厚美 発行者=伊奈忠彦(同人代表)

2022年7月12日火曜日

『別冊關學文藝』第六十四号 合評会

 別冊關學文藝第六十四号 合評会開催

日時:2022年令和4年 7月10日(日)
場所:大阪市立総合生涯学習センター 
     (大阪駅前第2ビル)

本年度、『詩集 無限抱擁』で現代詩人賞を受賞された
      詩人・倉橋健一先生が特別参加くださいました。
  
























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2022年7月4日月曜日

奈良新聞  山添孤鹿『 詩集 南都憂愁』詩評 

   2022年令和4年7月1日(金曜日)     
     奈良新聞10面(文化頁)に
        詩人・文芸評論家 倉橋健一氏の特別寄稿        
  「詩評 山添 孤鹿『南都憂愁』について」  
       が掲載されました。

             





































詩集 南都憂愁(著者 山添孤鹿 別冊關學文藝同人

『詩集 南都憂愁』は、1940年生まれ、奈良市在住の山添孤鹿氏による作品集。平城宮址、大仏池、東大寺、薬師寺などの名所旧跡から、森青蛙、椋鳥、燕などの野鳥まで24の地元の題材を扱っている。A5版、上製本、本文104頁。21年12月、奈良新聞社刊。
















倉橋健一 詩評 (奈良新聞特別寄稿) 

山添孤鹿『南都憂愁』について

 『南都憂愁』(山添孤鹿)をそのまま額面通りに受け取るなら、今日の奈良にあって、失われつつあるいにしえの都の面影を愁い悲しんで、ということにでもなるだろうか。その点では、たしかに、和辻哲郎の『古寺巡礼』や堀辰雄の『大和路』などとは、接し方がひと味ちがう。
 作者は奈良生まれの今も奈良に住みつづける人であり、おまけに二十世紀アメリカ文学の研究者とあって、いわば内の人でありながら、たっぷり外界の空気を吸ってきた人である。そんな人が、二十世紀後半から二十一世紀へと相渉(あいわた)って、折にふれてじかに歩きながら、移りゆく古都にたいする、掛値なしの愛惜を注いだのが、この一冊といいうる。あえてレクイエム詩集といってよいと思う。
 冒頭の「東大寺南大門金剛力士像」を読む。この段階までは、私はこの詩集を、故郷人であることを信じて疑わなかった。ところがこの詩、終連にきて、〈写真機を、いじりながら 焦点が合わないと / 状況把握を疎(おろそ)かに〉と、苛立っている自分自身をそのまま覗(のぞ)かせる。こうなると、私のほうも先入観を捨てねばならなくなる。むしろ幼い時から培った、故郷と一体化した調和が失われていくことへの、痛烈な悔恨の情がテーマとして浮かびあがる。
 たとえば「椋鳥(むくどり)の怨嗟(えんさ)」では、天平の世にあって、良田百万町歩の開墾計画を立案するなどすぐれた能力を発揮しながら謀反の疑いをかけられ、死に追い込まれた長屋王の館があった地域に、いつのまにか警察本部が移ってきたことにたいする、ここを塒(ねぐら)に長く棲みついてきた椋鳥の嘆きがうたわれる。
 同じように「南都夕景色」では、高層住宅建設計画や大規模商店建設によって居場所を奪われる森青蛙が登場する。あるいは幼虫期にカマキリなどに捕食されて、逆にその体内で成虫になるという針金状の細長いかたちをした針金虫が登場する「宮址残影」など、こうなってくるともう南都憂愁の詩集名にひたってばかりにはいかない。変幻自在の形相さえ帯びる。
 ここまで来ると、私などはもう何いうともなく、戦前にあった日本的なものへの回帰を呼びかけた「日本浪曼派」を主導した保田與重郎などがかさなってきた。当時国家主義が奨励した古典の流行と結びついたために、戦後はいろいろ批判もされてきたが、そうではない。大和に軸足をおいて米づくりをベースにした祭りの生活に着目したのが、彼の思想の根底であった。言葉をかえれば、自然に逆らわずに自然に寄り添うところに、日本人の心性を見たのだった。
 そうでなくとも『俳句歳時記』など見て、よくもここまでまあと、その小まめさに思うことがある。たとえば「穴まどひ」など。晩秋になってもまだ穴に入らない蛇のこと。「冬の虫」「冬の蝶」「冬の蜂」など同じ類(たぐい)だが、日本人の自然に対する寄り添えかたは、とことんきめこまかくやさしい。この詩集に登場する小動物たちも、同じ位置に居る。
 その一方で、私は折口信夫の『死者の死』も思った。独自な古代回帰の幻想小説で〈したした〉〈こうこうこう〉など、オノマトペが霊界の声としてつかわれるが、「藤と三光鳥」など読んで三光鳥のとらえ方など見ていると、いつか『死者の書』にかさなっている自分に気づかされた。
 〈ツキー ヒー ホシー ホイ ホイ ホイ / ホイガイ イガイ ソウテイ イガイ イントク / ツキー ヒー ホシー ホイ ホラ ホイ ホイ / スウチ ウチウチ チッ チリ ホラ ホイ ホイ〉
 五連の全部。もともと三光鳥は神の使者で、三光とは月、日、星をあらわす。この鳥、すでに絶滅に瀕(ひん)しているという。とすれば、この連もあらかた察しはつこう。
 という具合でこの一冊、ふらふら持って歩いてガイドブックにするほど、やわな詩集ではない。現代詩集としても、奇観本といっていいほど、ユニークで魅力的な一冊に仕上がっている。                 (詩人、文芸評論家 倉橋健一)