関西学院創立百周年(1989年平成元年)に、關學文藝部OBにより『關學文藝 100周年記念特別号』が発行されました。これを契機として、翌年『別冊 關學文藝』が誕生。以後年2回の発行を続け、関学文藝部OB以外の同人・会員も加わり、現在(令和5年11月10日)第67号を発行。 編集:浅田厚美 発行者=伊奈忠彦(同人代表)

2015年5月4日月曜日

別冊關學文藝 第五十号

 

2015年平成27年5月1日発行

編集人
 浅田厚美  発行人 松村信人
発行所 「別冊關學文藝」事務局(澪標 内)

表紙(石阪春生) カット(柴田 健)

創作
深夜のウォーキング・クラブ    (森岡久元)
島の生活             (名村 峻)
ビアトリクス・ポター・マニア(一)(浅田厚美)
約束               (石川憲三)
もう一人の力道山         (江竜喜信)
愛と希望の旅立ち         (多冶川二郎)



壷                (山添孤鹿) 
雑草ガーデン/ツェツェ人     (中嶋康雄)
流転                (松村信人)

 
ブログ
「文学逍遥 伊奈文庫」再録(抄)(第10回)
             (伊奈遊子(ゆうし)
 

ノンフィクション
さゝやかな放送ウラばなし     (和田浩明)


エッセイ
四肢麻痺              (冨田明宏)
靴下を繕いながら          (塩谷成子)
 
 
特集・別冊關學文藝五十号に寄せて
石阪春生(祝 別冊關學文藝) / 大塚滋(壮年期) /  疋田珠子(『別冊關學文藝』と昔の同人雑誌  /  野元正(『別冊關學文藝』と神戸  /  細見和之(『別冊關學文藝』五十号に寄せて  /  山田兼士(ご挨拶 五十号vs五十号)  /  海部洋三(一筋の川)  /    和田浩明(老いの坂)  /  森岡久元(三十四の小旅行)  /  浅田厚美(書くということ)  /  石川憲三(合評会の風景)
  

編集後記  浅田厚美  松村信人
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本誌掲載の名村峻「島の生活」
第10回神戸エルマール文学賞の
候補作に選ばれました。
各選者の選評は次の通りです。
(大塚滋 評)
 多分、神戸ポートアイランドに住む初老(?)の筆者
暮らしを語「歩く人」「泳ぐ人」「裸族たち」の三
編からなる。タイトルの、世間から隔絶した離島の暮ら
しの感じは裏切られる。多くの近代的設備や大学や病院
が整った、島自身が都会である。そこで人生を達観す
大人の文章だ。

 最初の作品「歩く人」の主人公は腰に支障があり、登
用のステッキを頼りにしている。島を歩き、やがて志
を立て、島の南に浮かぶ空港島へ橋を渡ることを決意
する。

 文章がやさしさと明るさを保ちながら、あとの話(空
の帰りに動けなくなったこと、溺れそうになったこ
と、サウナで人が死んだこと)など危ない話を人生にか
らませながら語り継いで行く。

(浅田厚美 評)
 腰をいため普通に歩くことができなくなった主人公健
介はポートアランドとおぼしき人工の島で暮らしてい
る。神戸という街にもはや必要とされなくなった自分を
感じ、アイランダー(島人)となる決心をしたのである。
かつては仕事で海外を飛び回り東京でも長く暮らした彼
だったが、今は普通ではない歩き方でただ島をまわって
いる。しかしちょっとした冒険で島の南海上に浮かぶ空
港まで行った帰りに彼は自力で立ち上がれなくなるので
ある。この彼の姿は滑稽でかなしい。
 近くにあるホテルのプールで水中歩行を試みて溺れか
た後は、同場所にあるジムとサウナに通うようにな
る。そこで知り合った島にあるシューズメーカーの会長
がお風呂で老人の死体を見つける。その出来事によって
日常のなかの死を感じ取っているのは健介自身である。
 老人が亡くなった後のお風呂で彼は夢を見る。決して
渡らぬと決め街への橋が消えて、箱庭のような小さな
島だけが足元に残っているのである。

 生きていくということをじっくりと考えさせられる作
である。

(舟生芳美 評)
神戸の人工島に暮らす彼、澤田健介が欲しいものは普通に
歩けることだ。幾つかの外国の街を訪れたが、今では橋を
渡って街に行きたいとも欲しない。かつて人生を、仕事を
謳歌した男の無常観が伝わってくる作品だ。

(野元 正 評)
 神戸のポートアイランドらしい人工島がこの小説の舞
だ。腰を痛めた主人公健介は、「街」に通ずる橋を渡
ることを止めて、人工島の中だけで生きるアイランダー
(島人となると決心した。そして、始めたのは不自由
な歩き方で島中をくまなく歩き、彼なりの島の地図を
ることだった。彼にとって街はよそよそしく遠ざかり、
すでに行き場のない迷路と化していた。一年あまりの島
の彷徨で少し元気を取り戻し、冒険心がいて、普通でな
い歩き方で島の先にある空港島へ行った帰り、転び立ち
上がれなくなる。取りあえず歩くことを中止し、ホテル
プールに通うことにしたが、溺れかける。溺死未遂後
は軽いストレッチ体操と風呂(サウ)が彼の生活のす
べてになった。やがて島のシューズメーカーの会長だと
いうリッチなオジサンが風呂で八十歳ぐらいの老人の
体を見つけるなど、彼は身近に死を感じる。そして老人
逝った風呂で健介は、「街」への橋が消え、「箱庭の
街」だけが眼下にえる夢を見たー。
閉鎖的な島人として生きることとは、世捨て人の心境を
間見るような作品だった。


神戸新聞同人誌評

(野元 正・作家)

2015年平成27年

5月30日(土曜日)掲載


 


















印象に残る人間模様

 小説は夢とうつつの狭間の微妙で計り知れない幻影を
巧み描写してみせる。
 「別冊關學文藝」50 
(大阪市中央区内平野町2の3の11の203澪標内)
本誌は創刊から25年、50号の記念号。
お祝いのエールを送る。

 森岡久元「深夜のウォーキング・クラブ」。
作品はウォーキング後にひと休みする深夜のファミレス
で雑談仲間となった、年金生活者2人と現役世代1人が
主役。風変わりな構成と設定が絶妙だ。

 3人は住民が減少、高齢化し、終末期のような衰退し
た町のことをよく話題にする。現役で未婚の大友は高齢
者の孤独死や、女子学生との親密さを疑われて高校教師
を退職した過去の幻影に、吾妻は別居7年の妻と、死ん
だ愛人の幻影に、山中は、母との確執によるストレスか
ら心を病み、胃がんで逝った妻の幻影に、それぞれ悩む
ー。現代社会の多様な問題を浮上させた実験的秀作だ。

 同誌の和田浩明「さゝやかな放送ウラばなし」。
ノンフィクションだが、元NHKラジオ、テレビプロデュ
ーサーと田中千禾夫、田中澄江、茂木草介、宮本研、虫明
亜呂無の創作家らの作品制作の経緯は興味深い。



 『樹林』(平成27年8月1日号)

小説同人誌評  (細見和之)

『別冊關學文藝』が第50号に達している。半
年に一回の発行、二十五年できっちり五十号な
のだから、たいしたものだ。ここでは
江竜喜信「もう一人の力道山」を紹介しておきたい。
 
 持病の緑内障の治療を受けてきた「私」は、いまま
かかってきた医師が高齢を理由に診療所を閉じたた
駅前の「駅前眼科」を訪れる。その受付のところ
に掲げられている開業証明書にある医師の名前「高昌
代」を目にして驚く。中学生のときに出会った在日朝
鮮人で、時は「高石昌代」と名乗っていた女性では
ないか、と直感したからだ。そこから「私」が中学生
だった時代、一九五〇年代の終わりから六〇年にかけ
ての地元の光景に場面は変わる。

 そのころ「私」の集落には十五世帯ほどの朝鮮人が
暮らしている一画があった。男たちはくず鉄拾いなど
をし、女たちは闇米の「担ぎ屋」をしていた。高石昌
代の母親も担ぎ屋をし、家では豚を飼っていて、その
世話をしていたのが昌代だった。その昌代に中学生の
「私」は密かに恋心を抱いていて、豚小屋を見ていた
ときに昌代の父と思われる、片腕のない男に声をかけ
られる。その後、朝鮮人同士が争うような場面も登場
する。原因は北朝鮮への帰国をめぐる問題だった。

 じつは私自身、自分の地元で、まさしくこの作品に
描かれているよな歴史を掘り起こしたいと願ってい
る。やはりこういう記憶に拘っている作者がいること
を知って、励まされもする。しかし、実際に昌代と
「私」が現時点で当時のことをそれぞれの立場から
り合う展開にはなっていない。そもそも眼科医高昌代
がかっての高石昌代であることも作品の枠内ではあ
くまで推測にすぎない。ここは踏み込みが必要だろう。
昌代でない在日朝鮮人の女生徒が「うちら、在日コリ
ンのことやんか」と呟く科白などにも違和感がある。
当時、「在日コリアン」という言葉などまだなかった
だろうと思うからだ。

 
 
 

下記の添付ファイルは、

 ブログ『柳葉魚庵だより』より。

『別冊關學文藝』第五十号について紹介していただきました。 

  太極拳の師・伊奈遊子さんから、別冊關學文藝(第
50号)が届きました。創作、詩、エッセイ、ブログ
など、幅広い内容です。中でも、名村峻氏の小説「島
の生活」を興味深く読みました。
 
 「島の生活」の主人公は、これまでの現役バリバリ
の企業人ではなく、リタイアした男のある老後が描か
れ、より身近に切実に人生を感じることができました。
 
  長年腰の支障に悩まされ、もう普通に歩けなくな
っている主人公は、橋の向こうにある街へ行くことを
諦め、島の中だけで暮らしていくことを決心します。
そして、30年近く住んでいながらよく知らなかった
島を改めて歩いて、自分なりのMapを描こうとしま
す。コンビニや病院や公園や大学など、一つ一つをM
apに描くように丁寧に歩く様子の描写は、むしろ新
鮮です。かっては、ニューヨーク、パリ、ウィーン、
ローマ、シンガポール、上海等、世界の多くの国々
訪ねた男の「島を歩く生活」が一年近く続いたある日
男は島の南端にある空港まで歩くという”冒険”に挑み
ます。そして”冒険”が成功裡に終わろうとするすんで
ところで、彼は敷石に足を引っかけ、しゃがみこん
でしまうのです。彼を助け起こそうと通りすがりの人
々。それぞれに、それぞれの老後がやってくることを
象徴しているようで、どこか、カフカの世界のような
不思議な世界を感じさせる小説です。
 
  別冊關學文藝(第50号)には、伊奈遊子氏のブロ
グからの抜粋も載っています。主に、金鶴泳の「凍える
口」と夏目漱石の「こころ」というよりは、惜しぬらく
自殺してしまった金鶴泳の人生や漱石の意外な人物像
が取り上げられていて、重いテーマながら興味深く読む
ことができました。中でも、漱石の家庭内暴力の話は意
外でしたし、金鶴泳の吃音の話は読んでいて辛いものが
ありました。
 
  そして、いつも思うのですが、伊奈さんが実に丁寧
に作品を読んでいるのに感心します。またその中から、
読者が興味を抱く箇所を的確に抜粋してくれています。
 
          花曇り幸薄き人爪を切る