関西学院創立百周年(1989年平成元年)に、關學文藝部OBにより『關學文藝 100周年記念特別号』が発行されました。これを契機として、翌年『別冊 關學文藝』が誕生。以後年2回の発行を続け、関学文藝部OB以外の同人・会員も加わり、現在(令和5年11月10日)第67号を発行。 編集:浅田厚美 発行者=伊奈忠彦(同人代表)

2012年8月30日木曜日

尾道物語 旅愁篇 (森岡久元)


発行所=澪標(みおつくし)
2012年平成24年8月発行
著者は『別冊關學文藝』『姫路文学』

『酩酊船』同人
 

【 初 出 誌 一 覧】

三原まで
姫路文学』第一二一号 (平成21年2月

二月の岬
『酩酊船』第二七集(平成24年4月)

あびこ物語
『別冊關學文藝』第三三号(平成18年11月)

隠れ里の記
『姫路文学』第一二五号(平成24年5月)


富士見橋の理髪店
『姫路文学』第一二四号(平成23年8月)


尾道のラーメン
『別冊關學文藝』第三〇号(平成17年4月)


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2012年9月6日(木)

山陽日日新聞に本書が取り上げられ

紹介されました。


森岡久元さん 離れて半世紀

 尾道への望郷の念

 小説短編集『尾道旅愁編』を

 

幼少期から高校卒業まで尾道で過ごした小説家、森岡久元さん(71)が11冊目となる短編集『尾道物語旅愁篇』を澪標(大阪市)から発刊した。これまで古里尾道を舞台に紡いできた純情篇、幻想篇、姉妹編に次ぐ「尾道物語」シリーズで、「古里を出て50年以上経つが、今も心惹かれる町であり、何かいつも尾道から旅をしている気分。その心情を書き表してみました」と話している。
                                      [幾野伝]

 森岡さんは母親の古里尾道に4歳から暮らし、久保小から土堂小、長江中、尾道商業高校に学んだ。在学当時、活発だった文芸部の同人誌に小説を載せたのが始まり。関西学院大学に進み、同人誌「姫路文学」に参画、熱心に創作したが卒業と同時に就職、その後起業し経営者になったことから、長年筆を休めていた。
 休刊していた「姫路文学」が20年近く前に復刊したことを契機に、書くことへの情熱が再び湧き上がり、コンピュータ関連部品の販売会社のトップを務めながら執筆し、同人誌への寄稿を続けてきた。

 江戸・天明期を代表する文人、大田南畝(おおた・なんぽ)の生き様を追う一方で、尾道での少年から青年期の体験、思い出をもとに書いた『尾道渡船場かいわい』が2000年の第7回神戸ナビール文学賞を受賞。その後も、『ビリヤードわくわく亭』や『尾道物語・純情篇』、『サンカンペンの壷』、『尾道物語・幻想篇』、『恋ヶ窪』、『十八歳の旅日記』と1、2年に1冊づつコンスタントに生み出している。
 数年前に会社経営から退き、現在は執筆業に専念し、「姫路文学」と「別冊関学文芸」、「酪酎船」の各同人として作品を発表。半生記について今年6月には尾道市立大学で特別講義をした。

 「人生というドラマの深淵を探る珠玉の短篇集」と紹介されている新刊『尾道物語旅愁篇』は、「三原まで」▽「父の紀行『二月の岬』」▽「あびこ物語」▽「隠れ里の記」▽「富士見橋の理髪店」▽「尾道のラーメン」の短篇6作品を収めた。いずれも2005年から今年春にかけて、各同人誌で初出ししたもの。
 
 『二月の旅』は、病死した父親が45年前の二十歳の時に体験した四国周遊と、その旅で出合った女達との交友を中心に書き残していた日記風の紀行文を、現在の息子が読んでその足跡を訪ね歩く話。
 帯には「二月の岬」に寄せて、と関西学院大学名誉教授で詩人の山田武雄さんが「感傷を描きながら、これは作者の感傷ではなく、文中の父の若いときの思いであるという、第三者の視点から描いているかのようにして、巧みに読者を思いっきり『やるせなく』感じさせます。効果的にちりばめられた方言が、この思いとともに、読者をして若かった自分を振り返らせます。その背後に作者の感傷がたたずんでいるのです。内容、構成、文章ともに卓抜した優れた短篇です」と書いている。
 
「尾道のラーメン」は、尾道・朱華園をめぐる少年期の記憶から現在へと通じる、小説というよりは作者の個人エッセイの色彩が強い。処女作「花筺」から全ての作品を読んで好きだという檀一雄が朱華園を「おそれ入った」と絶賛したことを紹介しながら、その変わらない味を変わらない古里尾道への思いと重ねて綴っている。

 あとがきで森岡さんは、「私の郷里は尾道です。郷里を離れていつしか五十年になりました。郷里を離れて暮らすものには、心のどこかに望郷の念があるものです。そして、都会に半世紀も定住しながら、かすかな旅愁に心がつねに晒されているもののようです。どれだけの時が経ようとも、郷里を離れたものは、旅人だからでしょう。
・・・・人はこの世に生まれ落ちたからには、所詮旅人で、どこで生まれて、どこで暮らそうとも、旅愁はついてまわるものでしょう」と記している。